ジャンルの反復横跳び

宝塚歌劇その他、心惹かれたものについて

天華えまさんのマーキューシオが心に刺さって抜けない

 あの、B日程しんどすぎません????っていうのがこのブログの総意なんですけども。皆さんのTwitterレポ見てたら無限に時間が溶けるしこのあたりで思ってること全部吐き出しておかないと私はまともに生活ができない気がしたので、備忘録です。

3月20日15:30公演を観劇しました。特にAかBかの拘りはなかったので、このところ大好きな瀬央さんのティボルト楽しみだな~って感じで席に座りました。

 本題に入る前に私とロミジュリの話をすると、'12年に雪組さんのロミジュリDVDを友人から借りたことが全てのはじまりでした。言わずと知れたシェイクスピアの有名戯曲が、ミュージカル、それもフレンチロック!!!というところで、音楽にまず強く惹かれたのを覚えています。ストーリーもほぼ歌で進みますもんね。『世界の王』とかやっぱり名曲。当時ロミオを演じてらした音月桂さんは今でも大好きだし、ベンヴォーリオ役だった未涼亜希さんももの凄く歌が上手くて。この作品との出会いが、私のミュージカル好きを目覚めさせてくれて、今日まで続く宝塚ファン人生のきっかけをくれた。…というわけで、『ロミオとジュリエット』という作品に対する思い入れが、私はものすごく強い。原作も読んで観劇に臨んだ。冷静に観劇できないかもしれない、と、一抹の不安もあった。

 初回だし瀬央さん中心に観ようと決めて、オペラを構えた。しかし冒頭、紫髪のひときわ不良然とした男がモンタギューにいるのが目に入った。天華えまさん(ぴーすけ)のマーキューシオである。あれは何?見た瞬間小さく息を吐いたよ。あんな…宝塚に縁遠そうなバチバチのビジュアルを舞台で見るとは思わないじゃないですか。髪の毛を剃り上げてライン(蜘蛛を意識しているとのこと)を入れて眉毛も剃ってるし(あれはメイクとのこと)、もうびっくりして釘付け。そのくせダンスは流麗なの…ヴェローナ大公の甥なの分かるわ~~って感じ。「持て余したエネルギーを喧嘩に使う」ってまんまぴーすけのことですね、綺城ひか理さん(あかさん)のベンヴォーリオはあんまり喧嘩しそうにない。『憎しみ』のシーンでモンタギュー夫人(白妙なつさん、さすがの美声でございました)の言うことをあかさんベンと聞き流してる感じもヤンチャ感あってよかったな~~~どうやらナイフで遊んでいて落としてあかさんにコラッて言われていた時もあったようで、何そのかわいいの、、

第6場の『マブの女王』 ぴーマキュ、最後の「わ~かりっこなぁ~い」って節回しといい、しんどい…好き。「マブ」とは「アイルランドイングランドの民話で、人の夢をつかさどる妖精。」だそうで、原作では以下のような記述があります。ぴーマキュの仮面舞踏会での蜘蛛の仮面や、髪を刈り上げて入れたラインの蜘蛛はここからきているようです。

そうか、それならマブの女王と一緒に寝たな。
あいつは妖精たちが夢を産むのに手を貸すんだ。
(中略)
車輪の輻は、足長蜘蛛の脛
天蓋はバッタの羽根
筑摩書房1996年4月松岡和子訳『ロミオとジュリエット』45-46P

第10場の『綺麗は汚い』もいいですよね~。お花が詰まれた台車に乗ってお花を投げるところとか、みほちゃん乳母の帽子についている布を抜き取るところとか、イタズラしているのに楽しくなさそうな感じが絶妙で、この人はものすごく感情的な部分とすごく冷酷な部分とを両立して心の中に飼っているのではないかという気がした。

 気付いたんですけど、私、ぴーマキュの全てが癖(ヘキ)かもしれない。不良だけど内側は脆くて繊細で、死の間際に素直になって親友の幸せをただ願うぴーマキュ…そんなのもう、好きしかない。マーキューシオは大公の甥だからもしかしたら最初はモンタギューでもキャピュレットでもなかったかもしれなくて、彼がロミオとベンヴォーリオと一緒にじゃれ合うようになるまでの背景を知りたい…二次創作はこうして生まれるのか(違う)?

そして、ぴーマキュが強く印象に残るのは間違いなく、あかさんのベンヴォーリオと瀬央さんのティボルトがいるから。2人と、そして礼真琴さんロミオとの関係性が、彼をよりリアルな人物として立ち上がらせていると思う。

 私の今までのベンヴォーリオのイメージは、「世界の王」で2人と楽しそうにじゃれあう男の子そのままで、あんまり大人っぽさを感じたことはなかった。彼は3人一緒に世界の王だと思っていたところからマーキューシオが死に、ジュリエットもロミオも死に、1人でモンタギューを背負わなければならなくなってぐっと成長を見せる役どころだと思っていた。最後の霊廟のシーンで、モンタギューもキャピュレットも一緒になって固まった中心にベンヴォーリオがいるのは、そういうことの現れなんじゃないかと思っていたのだ。けれどあかさんのベンヴォーリオは、初めからロミオとマーキューシオのお兄ちゃん的存在という感じがする。「ロミオはお前の王様だな」というマーキューシオの台詞は、だからあかさんベンには不釣り合いに聞こえた。あかさんベンは、ぴーマキュが仮面舞踏会に行こうとロミオを誘うのに対して「ロミオには無理かも」とは言うけど「俺はいかないからな」とは言わない。自分でも面白がっているところもあるだろうけど、まずぴーマキュを1人で行かせる選択肢は彼の中にないんじゃないかと思う。暴走しちゃうところを止めはするけど、それ以外のところは静観してそう。もしかしたら、彼は理性で色んなものを抑え込む自分に対して、感情のままに暴走するぴーマキュを愛しく思うところもあったんじゃないだろうか。人は、自分にないものを持つ人を眩しいと思うから。

あかベンは、理性的であるところが、今までのイメージと違う根底だと思う。そんな彼が歌う「どうやって伝えよう」がもう切なくて切なくて泣くしかない。あかさんお歌上手いよね、ぱーんと抜けるような声質というのか。歌のこと詳しくないけど、こっちゃんはビブラートの利かせ方とか声量がすごくてたまに仰け反るうまさ、あかさんは伸びやかですこーんと響くうまさ。星組みんなお歌が上手くて私は幸せ。『街に噂が』のハーモニーもとても心地良い。

 最後に瀬央さんのティボルトですよ。私ティボルトって、ロミオのこと憎んでいたのになんでマーキューシオ刺す?って思っていたところがあったんです。でも違うんですよね。そもそもシェイクスピアの原作にはティボルトがジュリエットに恋心を抱いている描写は無くて、宝塚版や外部版(この場合、小池修一郎氏の潤色・演出版と言うべきか)で両家の対立の象徴として、ジュリエットを取り合う構図を足したのではないかと思います。で、でもじゃあなんでティボルトはマーキューシオを刺すかというと、お互いの屈折した同族嫌悪がそうさせたんじゃないかなと思いを巡らせたりするわけです。ティボルトとマーキューシオって常にナイフを持っていたり、すぐにキレたりとか、似ているところが多い。けれど瀬央ティボは『本当の俺じゃない』でも歌っているように、周囲から無理やり大人にされた弱くて脆い子どものようだった。一方のぴーマキュはロミオとベンヴォーリオのことは大切だがヴェローナに憎しみが蔓延していることについては諦めている。『世界の王』の「俺たちは絶対手を貸さない/支配者のゲームになんか」という歌詞がマーキューシオのパートなのすごく皮肉だなと思う。ぴーマキュは「カッコつけた臆病者」と瀬央ティボの地雷を踏みぬいて、ティボルトは「お前はピエロだ」「逃げるのか?お友達の説教聞いて!」とぴーマキュを嘲る。2人は今までの両家の衝突ではうまいこと闘わないよう避けていたのかもしれないけれど、ロミオがジュリエットと結婚したことで、ティボルトはロミオと真正面から闘うことになり、そうすると友人であるマーキューシオとベンヴォーリオが前に立つ未来は避けられなかったわけで。見方によってはロミオがマーキューシオを死なせたようにも捉えられるのに、「お前はなんで不器用なんだ」「ジュリエットを愛しぬけ」とどこまでもロミオのことを案じながら息を引き取るぴーマキュ。逆上したロミオに刺された後に言葉を届けたい相手はおらずすぐに目を閉じる瀬央ティボ。2人は最後まで相容れない。でも、時代が違ったらお互いの弱さに向き合って、時に喧嘩しながらも仲良くなれていたんじゃないかなぁと思うぴーマキュと瀬央ティボの関係性が切なくて苦しくて愛しい。この2人のティボマキュのせいで、ロミジュリという作品にここまで狂わされてしまった。

 結論、まだA日程見ていないのにB日程が心の奥に刺さって抜けないので、東京でもB日程のチケットを取れるように頑張りたいなと思う今日この頃です。