ジャンルの反復横跳び

宝塚歌劇その他、心惹かれたものについて

君が変わった―『The View Upstairs-君が見た、あの日-』感想

はじめに

 『The View Upstairs-君が見た、あの日-』を観劇してきました。自分もアップステアーズ・ラウンジにいるような気分で2時間15分を過ごし、やっぱり舞台っていいなと思いながら、でも同時に、まとまらない複雑な気持ちを抱えて帰路につきました。2/9夜公演の動画配信も視聴して整理した感想を綴っていきます。2/18(金)の23:59までアーカイブ映像が観られるのでリンク貼っておきます(チケット購入は同日20:00まで)!!

theviewupstairs.jp

 

素敵なミュージカル・ナンバーの数々

 岡幸二郎さん*1が「曲を聴いて出演を決めた」と仰った作品と知ったときから、ミュージカル・ナンバーをとても楽しみにしていました。実際どの曲も素敵で全曲に好きポイントがあるのですが、ここでは5曲+αの感想を書いていきます。

M-1:此処がきっとパラダイス / Some Kind of Paradise

此処がきっとそうさパラダイス 天使も聖母もいないけど いいのさ

 照明が落とされた舞台に登場し、ピアノに触れるバディ(畠中洋さん)。弾き語りで曲が進むにつれて、他のアップステアーズメンバーがスポットライトで照らされながら立ち上がっていきます。舞台が明るくなると楽器が増え、曲の雰囲気も一気に明るくなって。パトリック(小関裕太さん)が肩でリズムを取る時に揺れるイヤリングが艶っぽかったな~。

この場所こそ 俺たちだけの王国なのさ

バディと一緒にこのパートを歌うウィリー(岡幸二郎さん)が最高で、冒頭から感極まっていた観客は私です。本作は岡さんの心地良い低音と響き渡る声量が随所に発揮されていて耳福。
サビ(「此処がきっとそうさパラダイス~」)でのヘンリ(関谷春子さん*2)とイネズ(JKimさん)のハモりも大好き。

冒頭から一気に心掴まれて、自然に手拍子をしていました。客席と舞台が溶け合っていくようで、ミュージカルを観ている!!!と、この瞬間がどうしようもなく好きだなぁと思ったものです。

また、配信で冒頭のこのシーンを繰り返し観ていたところ、バディがデール(東山義久さん)に「おいデール!」と優しく声をかけていること、彼が他のアップステアーズメンバーとハイタッチをしたり笑い合ったりしていることに気が付きました。後述しますが、この曲を歌うみんなはきっと既にこの世にいない("あの日"の後の姿な)のかなと推測します。本作の結末と繋がっているような。

 曲がフェードアウトすると、ウェス(平間壮一さん)と不動産屋(大嶺巧さん)が登場。マスクをした二人と「2022年」「パンデミック」の台詞たちから、彼らは客席の私たちと同じ今を生きている存在なのだと理解しました。続くM-2<♪この場所から>の最中もアップステアーズメンバーは舞台上に残っていて(この作品、登場人物はほぼ舞台に出ずっぱりです)、「この場所から!」と高らかに歌い上げたウェスがカーテンを引くと、彼はパトリックのソロ曲M-9<♪虚空のワルツ>に導かれるように1973年にタイムスリップします。1973年と2022年に"此処"にいる人々が交錯する様子を先に見せることで、ウェスのタイムスリップが突飛な出来事ではなくスッと入ってくる気がしました。

M-6:壁の外の世界 / The World Outside These Walls

夢など見ても無駄
戦いさ
血を流しても 決して負けるな
生き残るのが復讐さ

 礼拝に一切興味の無さそうだったウェスが、警官を追い出そうと集めた寄附金を差し出すみんなに待ったをかけ、「さっきの説教を聞かなかったのか!?」と鼓舞しようとしますが。彼の行為がアップステアーズ・ラウンジを危険に晒したと怒るヘンリを中心に始まるM-6<♪壁の外の世界>。

関谷春子さん、歌がうっっっっまい!!冒頭や転調後の透明感のある歌声も、理不尽への怒りが滲むような強い歌声も、フェイクも痺れるほど好きです。それから、アップステアーズメンバーがウェスと対峙するように/ウェスを取り囲むように群舞をするところと、転調後の大サビでヘンリがグランドピアノに乗って歌うところ、曲の終盤で段々歌う人と楽器の音が減っていき最後にヘンリの「嗚呼 この時代の それが現実(ジャンッ)」で終わるところ……M-6の好きポイントが多すぎる。

 配信を観ていて気付いたことが一つ。ラスサビでヘンリが「生き残るのが復讐さ」と歌い上げる裏で、「本当にそれが復讐か?終わりはいつ?」と彼女以外が歌っているのですね。「ひたすら身を隠して生き残る」ことは本当に復讐になるの?いつまで続ければいいの?
そしてきっと、その思いはヘンリにもある。M-5<♪聞こえますか?>の冒頭で彼女は「"此処"を出て恐れることのない人生を」と祈っていたから。彼女の祈りは、「無駄」だと断じる「夢」は、壁の外の世界を恐れず歩けるようになることなんだろうな。

M-7:やり過ぎだわ / Completely Overdone

厚化粧 何が悪い? 愛する息子に惜しみなく
完成!(やり過ぎだわ)(やり過ぎだな)
やり過ぎだわ!

 イネズがフレディにお化粧をしながら歌う歌。二人が素敵な親子なのだなぁと分かるあたたかい曲です。

舞台の逆側ではウェスがフレディのためにドレスを作っています。この時のウェス、ドレス作りに使うガムテープを毎回客席の方に出てきて「びーっ」と引っ張ってから奥に戻ってを繰り返すところがツボでした。楽しそうで良い。

繰り返される「やり過ぎだわ」は、一度目はフレディ、二度目はパトリック、三度目は舞台上手側でフレディとイネズ、下手側でパトリックとウェスが。お化粧もドレス作りもやり過ぎたんかい!!!と笑った。でも三度目で二人ずつハイタッチしているから、やり過ぎちゃったけどオッケー!って感じなのかな、カラッと明るいそんなところも好きです。もう一つのイネズのソロ曲M-12<♪一番大切なこと>もすごく素敵な曲でした。

 ドレスを持って着替えに行こうとするフレディに、デールは自分の持っている「たった一つの素敵なもの」というネックレスを渡そうとします。でも、気付いてもらえない。デールはM-3<♪きっと見付かる>の後にフレディがラウンジを出て行こうとするところで彼にトランクを渡してあげていて、なんとなくフレディを好いているのかなと思って観ていたのでここは切なかったです。一つだけの素敵なものを贈りたいと思うほどの気持ちを受け取ってもらえないどころか気付いてもらえないの、苦しい。

M-14:絆 / Theme Song

友と生きた日々の思い出は
決して切れない絆だから
いつまでも手と手を取って
険しい人生を ただ 前へ

 冒頭のウィリーソロパートから胸にじんわり染みる曲。順番に1人や2人で歌っていき、次第に声が重なっていくところが好きです。バディの手を取って立ち上がらせるのがパトリックというのも良い。最後に全員でグランドピアノの周りに集まって手をつなぎ、一筋の光が降り注ぐという演出も、曲終わりのしんみりした空気をウィリーの「今のでアタシ思い出したことがあるんだけど!」と呆れるみんなが軽やかにさらっていくところも良い塩梅だなと思って好きなシーンです。

 ただこの曲にデールがいないことが凄く気になってしまったのも本音でした。

M-15:君が見た、あの日 / The View Upstairs

君の言葉を胸に抱きしめて
生きて行こう
紡ぐんだ 人生を
僕の人生を

 ウェスがぐっと大きくなったと感じるラストの曲。これまで彼がアップステアーズメンバーと接して変わった部分が感じられます。
たとえば、「画面の中にしか存在しない友達いくらいても/心の寂しさは決して消えはしないのさ/金がいくらあっても消えない温もり」とか。パトリックが彼に伝えてきたことだ。「偽りを脱ぎ捨て」からは<♪この場所から>で「本当の自分なんか/何着ものコートの下に隠そう」と歌っていた頃の、自分の弱さを見ないようにしようとして明るく振舞っていたウェスとは違うんだなと分かるし。

それから、<♪此処はきっとパラダイス>では"此処にいた"アップステアーズメンバーがウェスを導いたように見えたのに対して<♪君が見た、あの日>では"此処にいる"ウェスがみんなを呼んだように見えたのがすごくグッときたんですよね。冒頭、ピアノに寄りかかって<♪此処はきっとパラダイス>を弾く動きをするウェスを映してくださった配信映像に感謝。

 

(番外編)M-10:魅惑の人 / Sex on Legs

 オーロラ最高~~~~!!

フレディが伝説のドラァグクイーン オーロラとしてパフォーマンスするドラァグショーの場面。M-7<♪やり過ぎだわ>でウェスが作ったドレスを纏って歌い踊るのですが、オレンジと黒が鮮やかなこのドレス、胸の部分には紫のフリンジが付いているし、ミニスカートに網タイツがセクシーで、オレンジの大きなウィッグも相まってインパクト大!最高にイケています。

カーテンで作られた裾を颯爽と翻してステージを駆けるオーロラを見ると オーロラ最高~~~~! と胸が弾む。紙吹雪とラメが舞うステージ、溢れるパワーに心が沸き立つ!無条件に元気が出る!!このシーンの写真が欲しくて、ステージフォトセットCを購入しました。

TVUにおけるデールという存在について

 アップステアーズ・ラウンジ放火事件を起こしたのが、同性愛者に良い感情を持っていない人だったとしたら、話は単純だったのかもしれません。対立構造が分かり易く、その人に―そうした思考に対して怒ればいいから。けれど、そうではなかった。

そのことを、どう捉えるべきだろうかと考えます。本作でその行動に至ったデールが最後に発する「どうしたらみんな俺のことを見てくれるんだ!」という言葉に、思いを馳せています。

デールはウェスがタイムスリップしてから"あの日"まで、おそらくそれ以前からずっと、舞台にいながらまるで「いない存在」のように扱われていて。
M-3<♪きっと見付かる>でアップステアーズメンバーが順に紹介されていく時、デールは紹介されず、またメインで曲を担うバディがデールを突き飛ばすような様子も見られます。
M-5<♪聞こえますか?>冒頭、全員が祈りを歌い継ぐところでデールは「いつも何かに怯えながら生きずに済むように」と歌っていて、曲が終わりにリチャードが「ストレートの人間の中に賛同者をつくる」ために障がいのある子どもたちに寄付をするのだと話したのに対して「なんでそういう努力をするのはいつも俺たちの方なんだよ!」と語気を強めて。
M-11<♪孤独の闇>では「愛が欲しいわけじゃない ただ気付いて欲しいだけ」と切々と歌う。
M-13<♪こんな風な>はウェスとパトリックの気持ちが通じ合う素敵な曲だけれど、同時にデールにとっては、どうして自分だけ?どうしてアイツは良くて自分はダメなんだ?というこれまでの鬱憤が頂点に達してしまう曲でもあって。愛してもらえないだけじゃない、気付いてももらえない……ずっと孤独に閉じ込められていたデールが"此処"に火をつけることで気付いてもらおうとしたのだとしたら辛すぎる。

アップステアーズメンバーの最期を、事実を織り交ぜながらパトリックが語るくだり。「誰も犯人を見付けようともしなかった」ということは、デールの「気付いて欲しい」という願いは最後まで叶えられることなく、彼は気付かれないまま最期を迎えたのだろうかと考えるとやっぱり辛い。思えば、当時の世界では同性愛者が「いない存在」とされていたのですよね。その中でできた同性愛者同士のコミュニティの中にすら、デールのような人がいた。ある面でマイノリティとされる人たちが、その集団の中で更にマイノリティを排除する、という構図は、どんな風に分けた集団でも起こり得ることのように思います。

マジョリティとかマイノリティとか関係なく、誰が好きでも誰も好きじゃなくても何をしていても、一人ひとりが自分らしく生きていける世界にしたいよな、というのが私が本作を通して感じていることです。そのためにどうしたらいいのかはまだ全然わからないけれど。

"あの日"の先に見えるもの

 平間壮一さんがパンフレットで「タイムスリップがメインテーマではない」と仰っていました。なるほどウェスは拍子抜けするほど簡単にタイムスリップを受け入れ、アップステアーズメンバーに馴染んでいくから、メインではないことはわかります。ではなぜ、2022年に生きるウェスを1973年の世界に飛ばす必要があったのか。

それはきっと、作者Max Vernon氏が観た人に、この作品を通して何かを感じ、行動して欲しいという願いを込めたからだと思います。

「君が変わった」と言われたウェスが、アップステアーズ・ラウンジで出会った8人を描いた幕が"枠"を覆うラスト。タイムスリップ前は流行りそうな要素を詰め込んだ服を漫然とつくっていたウェスが、大切な仲間たちに一番似合う服をデザインしたのだと思うと胸が熱くなります。彼がデールも描いてくれて、<♪君が見た、あの日>でもう一度みんなと笑い合っているデールを観ることができて、救われたような思いでした。

また、繰り返し配信を観ているうちに、<♪此処はきっとパラダイス>と<♪君が見た、あの日>は繋がっていると思うようになりました。バディが歌う「生まれ変わった俺は 今じゃ世界も変わった 新しい仲間と支え合い 生きてる」の"世界"とは、いつの日か、どんな人でもその人らしく生きられるようになった世界のことなのかもしれない。そしてその世界は、ウェスのように変わった「君」たちが作っていくものなのかもしれないな、と。

 私には、ウェスのようなクリエイティブな才能は無いけれど、心震える作品に出会えたことを覚えておきたくてこの文章を書きました。東京千秋楽おめでとうございました。大阪公演も、どうか最後まで駆け抜けられますように。

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*1:『1789-バスティーユの恋人たち-』でペイロール伯爵を演じられていた時、その圧巻の歌声に魅了されました!『ロミオ&ジュリエット』のヴェローナ大公も大好き。

*2:昨年観劇した『メリリー・ウィー・ロール・アロングーあの頃の僕たちー』にご出演されていたと知って驚き!ソンドハイム楽曲も素敵に歌いこなされていたのだろうなぁ~。