ジャンルの反復横跳び

宝塚歌劇その他、心惹かれたものについて

美しいものに魅せられてー小説『羊と鋼の森』感想

 幼い頃にピアノを習っていた人はそれなりにいるのではないかと思う。あくまでも主観だが、ピアノは習い事の中で最もポピュラーである。私の両親は共にピアノを習っていて、子である私にも同様に習わせた。私はピアノを楽しいと思えず、五年ほどであまり上達もしないまま辞めてしまった。ただ、ピアノ曲は日常生活でもよく聴くし、好きだなと思う。

平日の午前中、人のまばらな本屋さんで手に取ったのが本書だった。昨年、本屋大賞を取った作品であり、来月初旬に映画が公開されるため、知っている方も多いかもしれない。宮下奈都さんは『スコーレNo,4』や『たった、それだけ』といった作品も書かれている。柔らかくて、優しくて、強い世界を紡がれる方だと感じている。心情描写が繊細で、膝を打つような言葉選びのセンスが光るところが素敵な作家さんだ。

本書は、高校生の時にピアノ調律師・板鳥と出会って調律に魅せられた主人公・外村が調律師となってひたすら音と向き合い、人と向き合いながら調律の森へと深く分け入っていく物語である。主人公の外村はとても純粋な人物。控えめで大人しく、物事に対し拘りを持たなかった彼は、板鳥が調律する様子を見て初めて、ピアノが「美しい」ということに気が付く。そんな彼がピアノに出会って発見した、記憶の中にある美しいものの描写がとても好きだ。

たとえば、実家にいる頃ときどき祖母がつくってくれたミルク紅茶。小鍋で煮出した紅茶にミルクを足すと、大雨の後の濁った川みたいな色になる。鍋の底に魚を隠していそうな、あたたかいミルク紅茶。カップに注がれて渦を巻く液体にしばらく見惚れた。あれは美しかったと思う。

 ピアノの調律を主題とした本書ではあるが、描かれるのはコミュニケーションの様であったりする。つまり、調律師としてお客さんに求められている音は何なのか、外村たちは常に言葉から推し量る必要がある。外村の教育係である柳は例えを交えながらそれを伝えようとする、こんな具合に。

「お客さんにチーズみたいな音にしてくださいって言われたらどうする?」

対する外村の答えは

「まずは、チーズの種類を確認します。ナチュラルか、プロセスか。それから熟成の具合を尋ねると思います」

そうきたか、と思った。柳が、調律の本体にとって「なるべく具体的なものの名前を知っていて、細部を思い浮かべることができるっていうのは、案外重要なことなんだ。」と言った意味が分かった気がした。

また、外村が尊敬している板鳥に、どんな音を目指しているか、と聞く場面がある。板鳥は小説家・原民喜の言葉を引用して答える。

明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしく深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体

文章が好きな私としては、文体を音に置き換えた外村と板鳥と違い、そんな文体で言葉を紡ぐことができる日が来るだろうかと夢想する。同時に、板鳥の造詣の深さに驚かされる。ある分野に秀でている人は、他の分野においても関心を強く持っていて、双方向にいい影響を及ぼし合っているのだろうなと思った。

本書は音楽小説らしく、言葉でなく音だから伝えられることもあると強く訴えてくる一面もある。

外村が調律に訪れた、二十代の男性の家。彼は外村と目も合わせぬまま調律を依頼したが、外村は「音の波を数えるために耳を澄ませていても、隣の部屋で、青年が一緒に耳を澄ませている気配」を感じ取る。調律を終えた後の試し弾きを依頼された青年が弾くショパンの『子犬のワルツ』に、外村は聞き惚れる。

ショパンの子犬はマルチーズのような小さな犬種のはずだったけれど、この青年の子犬は、たとえば秋田犬や、ラブラドール・レトリバーの、大きくて少し不器用な子犬なのだ。テンポは遅いし、音の粒も揃ってはいないけれども、青年自身が少年のように、あるいは子犬のように、うれしそうに弾いているのがよく伝わってくる。(中略) こういう子犬もいる。こういうピアノもある。

ピアノを通して青年が外村に、世界に向けて心を開く様は、こちらまで心が温かくなるようだった。調律師はこうした一般家庭のピアノの音から、コンサートホールに響く重厚なピアノの音まで調律する。それは、「どちらがいいか、どちらがすぐれているか、という問題ではない」のだ。

もう1組、印象的な外村のお客さんがいる。双子の少女、和音と由仁だ。双子は本書の中で大きな転機を迎え、ピアノと共に大きく成長する。本書は外村の視点で描かれているから彼女たちの心の動きを追うことは出来ないが、それでもピアノを本気で弾くと決めた、その音の変化は読者にも伝わるはずだ。

最初に聴いたときは、まだ双葉だったかもしれない。でも、ぐんぐん育った。茎を伸ばし、葉を広げ、ようやく蕾の萌芽を見せたのだと思う。これからだ。

 タイトルにある「羊と鋼」とは、黒くて艶々した大きな楽器—ピアノのことである。ピアノの中には羊の毛が使われたフェルトでできたハンマーがある。羊は古代中国の物事の基準だったそうだ。「美しい」も「善い」も、文字の一部に羊が入っている。

そしてハンマーが叩く弦は鋼。

羊のハンマーが鋼の弦を叩く。それが音楽になる。

ピアノの森を歩く外村の道は、読後の今もしっとりと続いているのだろうと、そんな風に思う。

美しいものも、音楽も、もともと世界に溶けている。