ジャンルの反復横跳び

宝塚歌劇その他、心惹かれたものについて

小説が好きだ

 「小説なんて、読んで意味あるの?」

そう言われたことがある。大前提として小説は娯楽だと考えていたので、「意味があるかどうか」という問いが立てられるものなのかさえ、その時は疑問だった。哲学書を読むことが趣味なその人の、言外に込められた少しの侮蔑が、ザラリと心を撫でた。

 けれど今、はっきりと私は思う。小説を読むことに、意味はある。たくさんある。

小説を読むことは、自分じゃない誰かの視点を心の中に入れることだ。文字で紡がれる世界で誰かが生きている。この人ヒドイなぁ、キライだ、ムカつく、と思ったとしても、その気持ちは相手には届かない。それがいいのだ。納得できないなぁと思いながら、それでも最後まで読み進める。すると、その人物にもその人物の人生があって、彼にしか見えない世界の見え方があって、嫌われるその行動にも彼なりの理由があるのだと気が付く。納得はできないままでも、彼のことをまぁ認めてやらんでもないか、という気持ちになる。

 以前、作家の七月隆文さんが講演会で『三銃士(ダルタニャン物語)』を薦められていた。フランスの作家アレクサンドル・ドュマ・ペールによる全十一巻の冒険小説である。青年ダルタニャンは「三銃士」アトス、アラミス、ポルトスと出会う。四人は熱い友情を結ぶが、時が経つにつれ様々な事情で路が分かたれていく。作中では、ダルタニャンだけでなく、登場人物それぞれの心情が丁寧に描写されている。かつての仲間同士が敵味方分かれて戦うが、そこには全員に深い事情や哲学がありそれぞれの正しさがあるのだと教えてくれる。

以前ある人が、私の長所は「人を笑顔にするコミュニケーションができる」ところだと言ってくれたことがある。私にとって「他者を想うこと」を教えてくれたのは小説であり、なかでも重松清さんの『きみの友達』が思い出深い。

わたしは「みんな」を信じない、だからあんたと一緒にいる―。足の不自由な恵美ちゃんと病気がちな由香ちゃんは、ある事件がきっかけでクラスのだれとも付き合わなくなった。学校の人気者、ブンちゃんは、デキる転校生、モトくんのことが何となく面白くない…。優等生にひねた奴。弱虫に八方美人。それぞれの物語がちりばめられた、「友だち」のほんとうの意味をさがす連作長編。(「BOOK」データベースより)

私達は自分の人生しか歩めないから、どうしたって自分が主人公の物語を描くことになる。でも教室を見回せば、みんながみんな、自分が主人公の物語を生きている。紹介にもある「八方美人」の堀田ちゃんは、恵美ちゃんと由香ちゃんに救われたけど、それを言葉に出せずに終わってしまう。恵美ちゃんのお話を読んだときは堀田ちゃん、なんて恩知らずなんだと思ったけど、堀田ちゃんのお話を読むとなんだかそれも責められないなと思う。世界は万華鏡で、誰が持つかによって色も模様もガラリと変わる。

twitterをはじめとするSNSで、誰もが意見発信をできる時代。毎日匿名の誰かが、気に入らない誰かを攻撃しているのを見かける。違う考えの人を否定することでしか、自分の正しさを主張できない人が増えていると思う。でも正しさはひとつじゃない。誰にとっても正しいものなんて、ないのかもしれない。「私はこう思う。あなたはそう思うんだ、それもいいね。」って、そう言える人がもっと増えたらいいのになと思う。

私はその素地をつくるのは小説だと思っている。

手で紙を触り、目で文字を拾い、こころで味わう。

文字に向き合う孤独な時間こそが、人を豊かに育む。小説は、私に生きるうえで大切なことを教えてくれた。

私は、小説を読むことが大好きだ。

いつか、小説に関わるお仕事がしたい。そのいつかを少しでも近づけるために、書く力と習慣を少しでもつけたくて、こうして文章を書いているのだった。

今日から8月。気持ち新たに、前を向いて。今日も素敵な一日を。