ジャンルの反復横跳び

宝塚歌劇その他、心惹かれたものについて

本当のことは誰にもわからない―花組『冬霞の巴里』感想散文

 『冬霞の巴里』観劇してきました。あれこれ考えたくなる作品だったので、散文になりますが自分なりの感想を書き残しておきます。

時は19世紀末パリ、ベル・エポックと呼ばれる都市文化の華やかさとは裏腹に、汚職と貧困が蔓延り、一部の民衆の間には無政府主義の思想が浸透していた。
そんなパリの街へ、青年オクターヴが姉のアンブルと共に帰って来る。二人の目的は、幼い頃、資産家の父を殺害した母と叔父達への復讐であった。父の死後、母は叔父と再婚。姉弟は田舎の寄宿学校を卒業した後、オクターヴは新聞記者に、アンブルは歌手となって暮らしていたが、祖父の葬儀を機にパリへ戻った。怪しげな下宿に移り住む二人に、素性の分からない男ヴァランタンが近づいて来る。やがて姉弟の企みは、異父弟ミッシェル、その許嫁エルミーヌをも巻き込んでゆく…。
古代ギリシアの作家アイスキュロスの悲劇作品三部作「オレステイア」をモチーフに、亡霊たち、忘れ去られた記憶、過去と現在、姉と弟の想いが交錯する。復讐の女神達(エリーニュス)が見下ろすガラス屋根の下、復讐劇の幕が上がる…!

宝塚歌劇公式HP 花組公演『冬霞(ふゆがすみ)の巴里』作品紹介ページより

 

オクターヴの真実はどこに?

 永久輝せあさんのオクターヴが登場して発する「ただいま。この腐った街、巴里。」の一言によって、ぐっと『冬霞の巴里』の世界へと誘われました。ピンクと紫のジャケットにリボンタイ、大正解…!ハスキーな声がなんとも魅力的で、お歌も安定していて何より退廃的な雰囲気がぴったりでした。

 オクターヴは姉のアンブルと共に父オーギュストを殺した母クロエと叔父ギョーム、父の部下だったブノワに復讐をしようとパリに戻るのですが、果たしてその復讐は”正しい”のか、というのを考えながら観劇をしていました。そもそも「正しい復讐」なんてあるのかというのは別の議論になりそうですが、オクターヴは復讐を支えに生きてきたような印象を受けて、けれど、その支えが確かなものではない危うさや歪みのようなものを感じたので。

オーギュストが聖人ではないことはギョームやクロエだけではなくジャコブやフェロー男爵夫人によっても語られていますし、オクターヴも途中から何かがおかしいことに気付きはじめたはず。それでも復讐という心の支えを失くすことを認められない、かと言って復讐の先に自分やアンブルが幸せになれるかもわからず葛藤する繊細な感情の動きも、永久輝さんのオクターヴからは感じることができました。そんなオクターヴが大晦日の食卓で「誰でもいいから俺に命じてくれよ」と言ったこと、「ごめんね」と応えたのがアンブルだったことで、ああ彼はこの後アンブルに依存して生きていくのかなと思って少しだけ気の毒になったりして。

 時折差し挟まれるオクターヴの回想シーン、冒頭の方で「ママやお姉ちゃんには秘密だよ」と彼に告げたのはオーギュストでしたが、最後の方にはギョームが言っていますよね。少年オクターヴが本当に懐いていたのは実はギョームなのかもしれない、と提示されたところでまた世界が反転して観えて、そういえば他にも、本当のことが明らかになっていないことはいくつもあるよな、と。

オーギュストの悪行はジャコブ、クロエ、ギョーム、ブノワ、フェロー男爵夫人と色々な人から語られるけれどそれは本当に彼の姿なのか、とか。イネスが自殺してしまったのはオーギュストのせいだということになっているけれど本当にそうなのか、とか。オクターヴの記憶が曖昧なのはなぜなのか、とか……。

疑問が残るのは確かですが、私は、【人は自分が見たいようにしか見ない / 善も悪も人によって簡単に反転する】ということがこの『冬霞の巴里』の主題の一つでもあるのかなと思ったので、疑問が疑問のまま残されたところも面白いなと感じました。

 

ヴァランタンとシルヴァン

 二人のやり取りは観客にあまり見えませんが、オクターヴと話すヴァランタンを爛々と輝く目で見つめていたシルヴァンを見て、ヴァランタンに心酔しているのかな、と受け取りました。わからないけれど。侑輝大弥くん、大きい目を効果的に使って演技するので、視線の先に何があるのかがつい気になってしまいました。

 ヴァランタンも、シルヴァンが殺された後に橋の上に腰掛けて「失うものはもう何もない」と言っていたので、ああ二人は仲が良かったのかなと感じて勝手に苦しくなったりしました。「もう」何も、ですからね。「本心に従うと失敗するぜ」とオクターヴに告げたヴァランタンが、ギョームとクロエの邸に単身乗り込んでテロを起こそうとし、オクターヴに殺されてしまう最期はもっと苦しかった。

 この二人についてはもっと深めたかったけれどここまでが記憶の限界…ヴァランタンの聖乃あすかさん、シルヴァンの侑輝大弥くん、お二人とも素敵でした。スピンオフが観たいのは確実にこのペア。

 

オクターヴにとってのアンブル、アンブルにとってのオクターヴ

オクターヴ)もしも血が繋がっていなければ いつまでも 一緒にいられるのだろうか

アンブル)もしも血が繋がっていなければ いつまで 一緒にいられるのだろうか

 オクターヴとアンブルの違いが浮き彫りになったここの歌詞がすごく印象的でした。

オクターヴ姉弟の自分たちは「いつまでも」一緒にいることはできないと考えている。アンブルは姉弟でなくなったら「いつまで」一緒にいられるのだろうと恐れている。

私はここで、オクターヴが、アンブルと結婚できれば(姉弟でなければ)いつまでも一緒にいられると思っていたことが不思議で。オーギュストとクロエの関係が良くなかったから事件が起こったと考えれば、夫婦という関係性に懐疑的になりそうなものだなと思ったからです。ブノワに迫られムッシュ・ボヌールに求婚された姉を見て、弟のままじゃずっと傍にはいられないかもしれない、と思うのもわからなくはないのですが、たぶんそれよりも彼は、幼少期に失ったはずの家族への慕情を心の奥に持っていたのかなぁと考えたりしました。オクターヴのこういう純粋さを、ヴァランタンはシルヴァンと重ねていたのかもしれない。

他方アンブルは、この歌の時点でおそらく、自分とオクターヴが血が繋がっていないことを知っていると思います。もっと言うとアンブルは、クロエもイネスもあまり好きじゃなくて、血の繋がらないオクターヴを自分の弟として、自分が「姉」であることに固執しているように感じた。そしてオクターヴと対照的に夫婦という関係性に希望を見出していないからこそ、最後の「姉と弟?それでいいの?」というオクターヴの問いかけを肯定し、姉弟という血の繋がる関係性による永遠を選び取ったのでしょう。

霞む巴里の街に消えたオクターヴとアンブルがその後も姉弟であり続けるだろうと私が思った理由は、ここにあります。

 

フィナーレが良すぎた件

 フィナーレ幕開き。男役さんの後ろに立つ娘役さんが、前の男役さんの体に手を這わせ、そして後ろから登場するのですが。センターの聖乃あすかさんと組んでいるのが春妃うららちゃんでとーーーーーっても嬉しかったです。

その後に和海さんと飛龍くんと踊るゆりさんの妖艶さも素敵で、ほのかちゃんとつかさくん(!?)が組んで踊るところでのつかさくんの色気にもやられました。なんですかあれは。

永久輝さんと星空さん二人のダンスもとても良くて。ひとこちゃんが星空ちゃんの肩に手を置き、置かれた手に悩ましげに目を閉じてから応じる星空ちゃん、まるでオクターヴとアンブルみたいだったなぁ。幸せそうな二人が観られてよかったです。

ひとこちゃんと男役さんが順に踊っていくところも色香がありました。ひとほのが踊るところでほのかちゃんのジャケットの左側がはだけていて興奮したなぁ。

そして最後ひとこちゃんのソロダンス、一人なのにペアダンスの振りがあったのも秀逸でしたよね。誰と踊っていたのでしょうか。

 フィナーレが良すぎて本編の記憶が飛ぶタイプの舞台でしたね。素敵すぎて困った…。

 

観劇できる幸せを噛みしめて

 オクターヴの最後の台詞と、アンブルと二人肩を寄せ合い奥へ歩む本編ラストの美しさが脳裏に焼き付いています。『冬霞の巴里』、観劇できてよかったです!ありがとうございました。

 

僕だけの姉さん 僕たちだけの罪

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