科白劇 舞台『刀剣乱舞 /灯』綺伝 いくさ世の徒花 改変 いくさ世の徒花の記憶を、刀剣乱舞の世界を何も知らないまま観劇した2020年8月6日。舞台に立つ七海ひろきさんがやっぱり一番好きだと思った日。1年半の時を経て、舞台『刀剣乱舞』綺伝 いくさ世の徒花を観劇してきました!帰り道にチケットを増やしたのであと1回観るチャンスがありますが、初見の感想を好きに書いていきます。内容に触れているので、これから観劇予定の方はご注意ください。
まずは七海さんのことを語らせて
七海ひろきさんの美しさと格好良さが一億点満点だったわけなんですけれどあんなの世界中が好きに決まっている。
細川ガラシャ様を演じた七海ひろきさん。演技や表情、立ち居振る舞いはもちろん、何より惹かれたのはその”声”。この1年半で培った声優さんとしてのご経験を存分に活かされていたように思います。地蔵行平に「姉上と呼んでください」と迫る声は色香を纏い、2幕初めに花道を歩きながら歌う子守唄には慈愛が宿っていた。忠興様が右近に斬られた後の狂ったような笑い声にぞくぞくしたし、忠興様に対する「鬼の妻には蛇のような女が似合いでしょう」や「憎くて、憎くて、憎くて…愛おしい。」に込められた情念に囚われた。大好きなひろきさんの演技が、声の幅が更に拡がったことでより深みを増したように感じてときめいた。
そして、チーム七海の方には共感していただけるでしょうか、薙刀を使い華麗に敵を倒すひろきさんの体の使い方が男役だった頃のそれと重なって、何度か泣きそうになってしまいました。例えば、体を左→右に僅かに揺れる時の顔の付け方(伝わらなさそう…)。例えば、薙刀を上で振り回す時、空いている左腕と体の間にある拳半分ほどの空間(ああやっぱり伝わらなさそう…)。群舞を遠くから観ていてもひろきさんだと分かった、動きのニュアンスのようなもの。当たり前のことだけれど、宝塚の舞台に立っていたひろきさんも、今目の前にいるひろきさんも、どちらもひろきさんで、「変わらないために変わり続け」て、活躍し続ける姿を観られる幸せを感じました。
人ではなくなる前の、着物を着ている時のガラシャ様の所作は優美で艶やかで、「妻が美しすぎたのかな」という歌仙の台詞に説得力しかなかった。綺麗なガラシャ様も、強くて格好いいガラシャ様も、存分に堪能しました。
行かなくちゃ 桜の花びらが夜に 散ってしまう前に
ここからは私の勝手な感傷込みの視点になるのですが、ひろきさんは宝塚を退団される公演のショーの1場面のセンターを任されていて、その場面で歌われていたのが歌詞を引用したflumpoolさんの『星に願いを』です。2019年3月24日にご卒業されたひろきさんは、曲の通り桜の花びらが散る前に宝塚歌劇団を去って行かれ、劇場に通っていた当時も今も、この場面を観ると涙が溢れて仕方がありません。今のご活躍はもちろん応援していますが、七海ひろきという男役さんへの惜別の想いがそこに冷凍保存されていて、この場面を観ると一時的に溶かされるようなのです。そんな前提条件があったうえで、綺伝でのガラシャ様の去り際の台詞がこちら。
散るべき時には散りましょう
……うー。苦しい。その上、自らを「徒花であった」と仰るから更に苦しくなってしまった。他方で、信仰上の理由で自害することが許されず、また正史では忠興様に命じられた人の手で殺されたことで愛する人を憎むようになってしまったガラシャ様は、忠興様の刀である歌仙兼定に斬られたことでその罪から解放され、忠興様と再会を果たすことができて。「お前の最期を、他の奴に任せてすまなかった」「良いのです、あなたの刀が私を斬ってくれましたから」という夫婦の会話、文字に起こすとたいへん物騒だけれど救いがあると思うし愛が重くて私は好きだ。そしてね、忠興様がガラシャ様を斬った歌仙を見つめて「自慢の刀じゃ」と仰るので、そう言われる歌仙兼定がまるで2人の子どものようで、だとすればガラシャ様は実を付けぬ花ではなく、はかなく散りゆくとしても自ら歴史改変を終わらせた美しい花だなと、そんな風に思った。カーテンコールで刀剣男士に次ぐ2列目のセンターでライトを浴びる七海ひろきさんが本当に本当に大好きでした。
ひろきさんが元いた場所のことを刀ステに重ねて観てしまうこと、純粋なステのファンの方からすると微妙かもしれないなと思いつつ、今日の自分の整理として率直な感想を書かせていただきました。私自身、今年に入ってから科白劇までの刀ステは一通り映像を観て刀ステの世界観が好きだなと思うようになったので、次に観劇する時はもう少しフラットな目線で観られたらいいなと思っています。近いうちに天伝と无伝も観る。
雅と風流を愛する文系名刀 歌仙兼定と和田琢磨さん
歌仙兼定が「僕は歌を詠む心を忘れてはいないよ。ただ、時を選びたいだけさ。」と言って詠んだこの歌、細川ガラシャ様の辞世の句なのですよね。ガラシャ様が登場する時に舞台を覆うように咲いた桔梗の紫がものすごく綺麗で、極になった歌仙が胸に桔梗を挿していることに気付いて胸が熱くなった。
文系名刀だけれど「力がなければ、文系であることを押し通せぬ世の中さ。世知辛いね」と自嘲する歌仙は、愛妻家かと思えば歌仙の由来とされる衝撃的な逸話も残る忠興様と似ているなと感じる。時間遡行軍の長物を踏んづけて袈裟斬りをきめる歌仙、力業っぽいけどそこが良い。真剣必殺の状態で花道をせり上がってくる和田歌仙、そこでせり上がってくると思わなくて二度見したしめっちゃ格好良かった。
カーテンコールで番傘を差した七海ガラシャ様に寄り添うように和田歌仙が出てきてくださった時の喜びも、ここに書き記しておきたい。番傘を閉じたガラシャ様のために傘を傾けてあげる歌仙、素敵だったなぁ。
思えば、以前ひろきさんがラジオのパーソナリティをされていた時に和田さんがゲストでいらした回があり、その時のひろきさんが和田さんを信頼しているのだなと、気楽にお話しされる様子からわかって嬉しかったので、その頃から誰目線かわからないけれど和田さんには頭が上がりません。
歴史、円環、物語―刀ステ本丸の行く先
そしてですよ。維伝で「物語をおくれ…」と言っていた謎の時間遡行軍、山姥切国広じゃんどういうこと!?と自宅で映像を観ていた私は一人騒いでいたわけですが、綺伝ではその気配を黒田孝高が纏っており、山姥切長義はそれに冒頭から気付いていたことが分かるシーンが胸熱。黒田孝高がスクリーンの向こうに消えると代わりに山姥切国広が現れ、山姥切同士の戦いが始まります。しかも個人的に、真剣必殺の長義の殺陣を観ていて山姥切国広に戦い方が少し似てるなぁ。体を後ろにに引きながら敵を斬る時の足のあげ方と布の翻り方とかそっくり、と思っていたところだったから余計にえええええええええってなりました。「お前が戻ってくるまで、俺がこの本丸を守ってやる」と倒した偽物にではなく本物の山姥切国広に向けて言う長義くん……慈伝から今までの間に培われた山姥切同士の絆を感じてグッときました。
結局、山姥切国広(荒牧慶彦さんのフェイスマスクを被ったどなたかが演じていました)は折られ(たように見え)ますが、その後再び登場した黒田孝高は「山姥切国広の影」だと言っていたので本物の山姥切国広はまだどこかにいると思うのだけれどその真意も孝高との関係も謎なままだし「三日月宗近を救ってやる」という孝高の狙いもわからない。そして集まる過去の物語の登場人物たち(おそらく)と、その中央にいる織田信長。
織田かー!と膝を打った。数多ある歴史のifの中でも、織田信長が天下統一を果たしていたら日本の歴史はまた違うものになっていたと思われるので、そこを起点にするのは確かに面白い。刀ステ1作目の虚伝が織田の物語だったことと、綺伝でも右近が「本能寺の変は織田や豊臣、明智の運命だけではなく、この(忠興様とガラシャ様)夫婦の運命をも狂わせてしまった」と言っていたことからも、円環の入り口は織田だということなのだろう。このシリーズとしての刀ステがあと何作続くかはわからないけれど、「円環」の構想ありきで1作目に織田の物語が配置されているのだと思うと末満ワールドの奥深さに眩暈がする。
「円環の中で物語がどんどん強くなれば、物語は歴史に、歴史は物語に近付き、いつか反転する」―それがこの刀ステにおいて三日月の背負ってきた「円環」の行き着く先であり、次回作の軸となる物語なのでしょう。歴史を守る本能を持つ刀剣男士は、物語が歴史となった世界でその本能とどう向き合うことになるのか、今からワクワクします。
それにしても刀ステにおける黒田の重要性たるや。声が好きで格好いい山浦徹さんがジョ伝に続き大活躍していて嬉しい限り。そして強欲なので、黒田がいるならキリシタン繋がりでまたガラシャ様に出ていただくわけにはいかないだろうか、と、そんなことを夢想してしまったりもしました。
終わりに
ひろきさんのご出演で舞台『刀剣乱舞』の世界に足を踏み入れる機会を得て、歌仙兼定を初期刀としてスマホゲームを初めて、刀ステの過去作を観てジョ伝でへし切長谷部ともう1人の和田さんに惹かれ、そして今回。科白劇の時とは違い、敵が実在する中で躍動する刀たちは目を瞠る程に格好良くて、観劇する醍醐味をとことん味わうことができた貴重な時間になりました。一部の刀剣男士にしか触れられなかったけれど皆さんとても格好良かったです。また観られることが幸せ。
刀剣乱舞、ひいては2.5次元舞台の世界に私を連れ出してくださった七海ひろきさんに改めて感謝しつつ、これからも宝塚に限らず色々な舞台を観に行きたいなと思う今日この頃です。
綺伝が無事に千秋楽を迎えられますようにと心から祈ります。おしまい。