ジャンルの反復横跳び

宝塚歌劇その他、心惹かれたものについて

『マノン』における綺城ひか理さんについて

 自分で自分に出していた夏休みの宿題。『マノン』での綺城ひか理さんについて、ミゲルとフィナーレ幕開きそれぞれの感想を書きのこしておきます。KAATでの千秋楽からだいぶ日が空いてしまいましたが、よろしければお付き合いください。

(1) 綺城さんの演じたミゲルのこと

 配役発表を見た私が最初に抱いた感想は「ミゲルって誰だ?」です。原作にミゲルはいないぞ……と思い、ティベルジュのことか!!!とわかったときは靄が晴れるような気持ちになって。同時にその時点で、出演される場面が限られることも察しがつきました。他の役がよかったとかそういうことではなく、贔屓をたくさん舞台で見たいという気持ちゆえに、当時の感情は100%プラスではなかったかもしれない。でも今は、ミゲルは綺城ひか理さんでなければいけなかったと心底思っています。「別箱は学年/番手に関係なく役に合うキャスティングをできるのがいいところだもんね」と言ってくれた友人の言葉も思い出したりして。

 さて。愛月ひかるさんが演じた今作の主人公ロドリゴと、綺城ひか理さんの演じたミゲルは親友です。原作からシュヴァリエロドリゴ)によるティベルジュ(ミゲル)評を一部引用します。

とりわけ、熱烈で高邁な友情にかけては、古代のもっとも有名な例をもしのぐほどなのです。
光文社『マノン』2017年 25p

原作と宝塚版の相違点について語ると長くなるので詳述は避けますが、ミゲルがロドリゴを大切に思っているのは観劇された皆様の共通認識ということで…この先を進めます。

だからね。どうしても言いたくなってしまうんですよ。「ロドリゴくん、マノンにだけ特大の矢印を向けてるけど自分も大概ひとから巨大感情向けられてることわかってます??」

ミゲル→→→→→→→→→ ←←ロドリゴ

ってなってるんよ、ロドリゴ以外誰が見ても気付くやつ。そう考えるとレスコーも大概だけれどこのエントリのメインはミゲルさんなので一旦続けます。

ミゲルの立場に立って『マノン』を観るとただただ辛い。この作品はロドリゴがマノンに出会ったことで始まるので、以前のロドリゴを深く知っているのはロドリゴの家族とミゲルだけ。ロドリゴが作中で出会う殆どの人々は、そして観客も、彼がマノンと一目惚れしあってからの姿しか追うことはできない。ロドリゴは「マノンと出会ってから、僕の本当の人生が始まったんだ」と言うけれど、19歳になるまで彼を育てた家族と、神学校で共に机を並べていた*1ミゲルが見ていたロドリゴもまた、彼の一部であることは確かなはずで。「本当の人生」なんて急に言われても、変わってしまったロドリゴは駆け落ちした上に他の人の愛人になっているマノンを愛していると言うし、挙句の果てに詐欺の疑いで捕まるのだから、その彼を受け容れられなくても仕方ないように思えてしまう。『マノン』という作品は、そんなミゲルがロドリゴにどう向き合っていくか、という物語でもあるように感じました。

 それでは、遡って綺城ひか理さんの出演場面を順に辿っていきます。ミゲルは全編通して4場面の出演で、ロドリゴとの会話が殆ど。冒頭の馭者を呼ぶ場面以外はミゲルくんがずっと悲しそうなのが辛くて……あの場面でマノンとロドリゴが出会わなければ、2人で先に行くのをもっとちゃんと止めていれば、と悔やんでいるように見えてこちらまで悲しくなります。

1幕冒頭でミゲルがマヌエラ亭から馭者の様子を見に行っている間に、ロドリゴはマノンと運命の出会いを果たしてしまいます。そんなことは露知らず、「ロドリゴ?」と少しおどけて聞く綺城ひか理さんミゲルからはロドリゴへの気遣いと、悩みを話しやすそうな空気をつくる絶妙な気軽さ……つまるところ"親愛の情"が滲むんですよ。「助けて!」と言われて後先考えずに「マノン!」と助けに行くロドリゴに、恐々ながら「おう!」と拳をあげて助太刀するミゲルは徹底的にいいやつで、にもかかわらず「この娘と先に行く!」って言われてしまうんだから切ない。殴られているみぞおちを押さえ膝から崩れる彼を誰か介抱してあげてくださいお願い……。

1幕中盤、フェルナンドの謀りによって実家に連れ戻されたロドリゴ*2の元を訪れるミゲル。ホアン兄さんの口ぶりからしてミゲルの存在が家族に知られたのはこの時が初めてのようで、その前のシーンでロドリゴがマノンを、親に手紙で紹介したと知っている私は複雑な思いに駆られます。ロドリゴは、自分のことを他人に話したがらない性格だったのかなぁだったら仕方がないか……ってなるかーい!!!親友ならちゃんと紹介しといて!!!
ロドリゴ?……別人のようだな。」と優しく気遣わし気に、そして寂しそうに声をかけるミゲル。でもロドリゴはマノンしか見えていないので、「マノンとは生涯一緒になる!」と聞かれてもいないのに(いやほんと聞いてないんよ…)力強く宣言するから、ミゲルは心配からマノンの言葉を信じるな、と忠告します。「ミゲル(何を言っているんだ)!?」カッコの中の言葉が聞こえてきそうなロドリゴの表情は、まさかミゲルにそんなことを言われるとは思いもしなかったのだろう。二人のすれ違いはもう始まっているのだと思うと苦しい。けれど、この時のロドリゴはまだ、ミゲルがロドリゴを探してマドリードまで行っていたことを知ると「すまなかった」と詫びたり、ミゲルが話すマノンの裏切りを信じたり、ミゲルを親友として大切に思い信じていることがわかるから救われる。
まぁとは言ったものの、情熱の赴くままにマノンを愛して生きるんだ!と豪語するロドリゴを見て「ロドリゴ……」と哀しげに声をかけるミゲルを見るとやっぱりしんどい!ってかロドリゴ名前呼ばれすぎなのに全然届いてないのどういうこと私と代わって!?

2幕中盤、修道士となったミゲルは、アルフォンゾ侯爵によってマノンと引き離され、母の手配で監獄から修道院に移ったロドリゴと再会します。「ロドリゴ」と呼びかけるミゲルの声には少しの厳格さと慈愛が滲んでいて。「感謝するミゲル。こんな惨めな境遇に陥った僕に手を差し伸べてくれて。」ってロドリゴくん遅い~~~~!でもまだ間に合うからマノンのことを忘れてセビリアの実家に戻って~~~~!!という私の願いは「愛するために…本当に自分であるために」人生はあるのだ、とキッパリ告げるロドリゴを前に脆くも崩れました。
「(マノンのことは)忘れるんだ!」と叫ぶミゲルの悲痛な声、は、私の胸を打つけれどロドリゴには届かない……。したたかに「世話になった友人に」手紙を書きたいと嘘を吐くロドリゴはきっと、自分とマノンを引き裂こうとするもの全てを敵だと思っているのだろうなという気がします。
その言葉を聞いたミゲルが呆然として僅かに後ずさり、床に目を落としてふっと寂しく笑いながら「……わかった。必要なものを、用意しよう。」と言うところがま~~~~~~~しんどいのですよ。ミゲルはロドリゴから手紙なんてもらったことは無かったのではないかな。だってロドリゴマドリードにいたことを知ったのは自ら探したからだし、セビリアの家を抜け出してから修道院で再会するまでも連絡を寄越したようには思えません。原作のティベルジュは折に触れてロドリゴから(お金の援助を頼む)手紙を受け取っていましたが、ミゲルはきっとそうではなかった。な、の、に、「世話になった友人に」手紙を書きたいだなんて、傷付くよなぁ……と、ロドリゴが徹底的にマノンを追い求めるものだから、私のミゲルへの思いは深まるばかりです。
そして流れる、ロドリゴの部屋を出たミゲルが彼を思って歌う歌<♪あの時>。『マノン』再演にあたり追加されたナンバーで、綺城さんのソロ曲!と心躍る時間です。歌い出しはポツリポツリ静かに言葉を落とすように、「過ぎ去った季節」はロドリゴとの青春の日々を回顧するように少し優し気に、聴かせるところでは朗々と美声を響かせてくださって。曲中でも「ロドリゴ」と2回言っているのですよどこまでもミゲルくん、君ってやつは……。

ロドリゴが手紙でレスコーを呼び出して脱走の計画を練り、それを実行に移した夜。修道院の門の鍵を奪うべく院長の部屋を訪れたロドリゴを待っていたのは、院長の代わりに番をしていたミゲルでした。愛する友人にピストルを向けられてしまうミゲル、「これが友情への恩返しと言うことなのか!」と激昂するミゲル、ロペスを撃ったロドリゴに抗えずに門の鍵を開けた上に気絶させられてしまうミゲル……ああもう、ミゲルのことだけ書くとこんなにしんどいのか。。

以上、ミゲルさんの登場全4場面です。ミゲル擁護派なのでロドリゴに苦言を呈してばかりですみません。
一方で、ミゲルは正しすぎたのかな、とも思います。ミゲルが歌う<♪あの時>は、「心に刺さる深い傷を抱え込ん」だロドリゴの情熱が「君を滅ぼす恋」と戦い「愛を求め彷徨う」ことを憂う曲。彼の心情が最も現れているのがこの曲だと思うと、ロドリゴの恋を悪いものと断じて真っ向から否定してしまっているんですよね。それはロドリゴも心を閉ざしてしまうよな~。もっとも、本作の結末を観るとミゲルの言う通り、身を滅ぼす恋だったことは間違いなかったのだなと思うわけですが。。

(2) フィナーレの綺城ひか理さん無双タイムのこと

 フィナーレ幕開き、最っっっっっ高でした……!!!!!!!!
感嘆符をいくつつけても、つけすぎることがないくらいよかった。大好き。Blu-ray早く欲しいなぁ*3、できることならKAAT千秋楽のフィナーレ映像が欲しいもっと言えば全部の回が欲しい……。

本編最後、ロドリゴとマノンが愛の果てに倒れ、舞台から客席に静謐な空気が流れるように幕が下ります。客席はその余韻に暫く浸る……かと思われた刹那、情熱的な音楽と響き渡る巻き舌の掛け声と共にフィナーレの幕が上がるのです。その役目を贔屓が担うことの幸せたるや。

幕開きの綺城さんは背を向けたまま舞台の中央で音楽に合わせて腕を広げ、振り返ると同時にピンスポが!…冷静に書いてみましたが、この場面を見ている時の私のテンションのままに描写するとこうなります。

オーーーーーーーーーールッァァ、ジャンッジャンッ(左右に手を広げて)ピンスポばーーーん!舞台灯ぱっ(初日と千秋楽だけ、客電もばーん!)!!最高!!!

……え?伝わらないって?すみません。とにかくフィナーレ幕開きのあの高揚感が忘れられなくて、毎日のようにKAATに通っていたことだけ伝われば十分です。KAAT初日のフィナーレで客電が点いたのは恐らくミスだったのですが(綺城さんの歌唱中にすぅっ…と消えていたので)、少し驚いたような、でも嬉しそうな綺城さんの表情が印象的でした。そんな客電が、2日目以降は点かなかったのに千秋楽で点いたときにはもう、気分は最高潮で。なぜ私がこんなに客電についてうるさく書いているかというと、「"生の舞台"を観に行くことの醍醐味ってこれだよな!!!」と思ったからです。照明スタッフの方が千秋楽に(おそらく)意図的に客電を点けてくださったことが、綺城さんのフィナーレに熱狂する客席を目にしたことによるものだとしたら。ショースター綺城ひか理のフィナーレ幕開きには客席も明るくしなきゃ!と思ってもらえたのだとしたら。真相は分かりませんが、日々変わっていくのが舞台のいいところだよな、と再認識したのでした。

(3) まとめ

 私の夏休みはKAATにありました。ミゲルさんの修道服っぽいワンピースを持っていたのでウキウキ着て行ったりして。中華街のお粥を食べたり、お姉さまファンの方とゆっくりお話ししたり、本当に楽しかったなぁ。
『マノン』、綺城ひか理さんがソロ曲を歌い終わった時と、フィナーレで振り向いてお顔にピンスポが当たった時に拍手ができたことがめちゃめちゃ幸せでした。これ、実はすごいことなんじゃないかと思っています。ソロ曲の後に暗転してくれてありがとうだし、フィナーレ背中から始めてピンスポ当ててくれてありがとうの気持ちで一杯です。
贔屓が立つ場所がいつだって私の0番!!

*1:舞台では特に言及がありませんが、原作に拠るとロドリゴとミゲルは今でいう神学校で学んでいたようです。なお、原作のロドリゴは実家に帰るこのタイミングで、神学校からアカデミーに進学予定でした。対するミゲルはその後も聖職につくための勉強を続けることになっていて、舞台の第2幕でミゲルが修道士になっているのはその流れかと。

*2:ここのロドリゴくん、隣に住むフェルナンドという男のことも、その男がマノンに横恋慕していたことも、マノンがフェルナンドをうまくあしらっていることも知らなかったことが分かってしまって、素直で人を疑わない彼のそんなところをミゲルやマノンは好きだったのかもしれないけれどちょっと直情的過ぎるように感じます。

*3:このエントリを公開した現在は当然ながら手元にBlu-rayがあります